そしてオタクは続く

一歩踏み出す勇気

4/20のライブを裏面から振り返る

日曜のライブで感じたことで、「あまりに自分のコトすぎて、そのアーティストさんの名前を冠した記事に入れるのはどうなん?」って思ったものを書いていこうと思う。
2月3月の一連の流れで、記事を分けてみようと。続くかどうかはわからないけど、書いておきたいことではあるので。アーティスト名とか曲名とか出さないで、検索に引っかからないように。まぁ、めっちゃ匂わせるけどね。
この時点で誰の匂いがするかはもう皆さんおわかりだろうけど、そういうことを書くのは「誰々さんのライブに行ってきました!」って記事で一緒にしちゃうのはちょっとね。
とにかく書いてみましょ。


何を思い、何をしたか。

  • 自分の意気込みと位置づけ。

狭い箱なのはわかっていたし、最前列センターが間違いない番号だった。
まず大前提は、何者にも遮られない最高の環境で、歌に音楽にパフォーマンスに浸りきる。大好きな歌を聴き、おもろいMCを笑い、すっげぇ演奏で体を満たす。何をするにもしないにも、「インプットを一秒たりともサボるんじゃねーぞ」と決める。
後ろから横からの圧力を受け止めつつ、楽しみきるにはどうしようか。動けないほどの圧縮は2月に経験してるし、その時よりは緩いだろう。でも動けない跳べない頭振れないみたいな状況はありえるだろうし、その時は聴く見るに研ぎ澄ませよう。そして細かなスペースを突いて、動きたい衝動を発散していこう。
その場でやりたいことを、やりたいように、やりたいだけ。


  • やったこと、感じたこと

ライブが始まっても、後ろからの圧縮はなかった。早々にSOLD OUTしていた割には詰め込まなかったんだね。考えてみれば、(ごく一部の曲を除いて)グッチャグチャの中で暴れ倒すってスタイルでもなかった。
「皆に幸せをもたらす」ため、快適さも考えていたのだろう。5年近いブランクもあるし、どこまで売り出すかって問題もあったはずだし。スペースはある状態が保たれる。


続いて意識はステージの低さに。客のフロアと20cmしか違わないとなると、おそらく後ろは見えない。あぁかわいそう。
そしてよぎる、「ちょっと屈んだ方がいいかな?」と。
「結局はステージ上と自分だ」って考えに強く傾倒しているけど、それは自分だけ良ければいいってこととはイコールじゃない。少なくとも、自分の為だけに動くことで少しでも後ろめたさを感じるんなら、それは自分にとって良くないわけだ。お立ち台にボーカルが立った時にちょっと屈んで、「チョット俺さん優しさ出してるねフッフー」って自己満になるのも悪くはないね。そこんところ、衝動と理性のバランス。
ボーカルがマイクを客に向ける。ステージは低いから、センターでやると自然と俺の間近にくる。ここで、どの程度がっつくか。コール&レスポンスするような曲はだいたいかっちょ良い曲だから、「ここはこうして、次は我慢して」とゆったりとした理性的な判断は無理。ほぼ衝動的にいったけど、なかなかコレが振り返るとうまいこと。ダブルアンコールのいちばん大好きな瞬間で、この日いちばんの伸びでマイクに向かっていったわけだけど、一回目で引っ込んだのはダブルがくるっていう勘だったのか臆病風か。結果、最高の瞬間に最高のやつができたからOKだけど、不思議なものだ。

  • 総括てきな

衝動と理性のバランスは現場によって違うよねーというのを確認。
2月3月は衝動のままに動き回ってもいい環境だった、4月20日はちょっと考えようかってところだった。
そしてかの「アンチ一体感」に対してだって「ってもグルーヴ感って良いよね」と。アーティストの志向に依るのがまぁ当然なんだよねと。4月20日は動きを合わせようとか、ここはこうって「はーい一つになりました」って押し付けがましさはなく、ステージ上も客もそれぞれ5年近く溜めてたものを出して受け取って。その流れで同じような空気感を共有できてたんじゃないかなと。自由の中で感じられてこそ、グルーヴ感・一体感って素敵デスヨネーって思う。


…ってなことを後から振り返ると思いつくかな。ライブ中にここまでは考えは廻らないし、楽しい嬉しい胸が熱い泣きそうあぁめっちゃ泣いてる俺今日最高や!って感情を垂れ流してるよ。
良い感じですね。2月3月で得たモノを、自分の中に落としこんでると思う。こっからしばらくは、ライブライブしたライブ(伝われ)って感じじゃないので、また上手くインプットして、楽しくアウトプットしていきましょ。



あれ、ライブの感想本編より長いかもw こっちの方が好きか俺。