サイドの活動記録

だって行きたいし見たいし。

予想と希望と潜在ニーズ ―NANA MIZUKI LIVE THEATER 2015 -ACOUSTIC- のチェイサー

ずいぶんと時間が経ったけれど、じっくりと余韻に浸っている。
水樹奈々のスタイルを力強く見せつけてくれた2日間であった。
と、ここまで思ったところで「ん、奈々ちゃんのスタイルってなんだっけ?」となった。THEATERのめっちゃ良かった余韻を味わいつつ考えてみる。あ、音楽活動でも特にライブの作り方ってところがメインの話ね。声優さんの方向は知らん。


既存の概念を破壊していくことこそ、水樹奈々水樹奈々たる所以であり、アニソン界のトップランナーとして他を寄せ付けない強みだろう。「なにこれ、こんなの考えられない!」というようなことをやってのけ、当たり前に自分のものとしてしまう、貪欲さとスケールの大きさは唯一無二だ。
会場規模の変遷だけでも圧巻だ。2005年の日本武道館から、横浜アリーナさいたまスーパーアリーナ西武ドーム、そして東京ドームまで至った女性ソロミュージシャンがそもそも数えるほどしかいない。動員力は関東に留まらず、各地で1万クラスのアリーナでのライブを開催している。昨年は横浜スタジアムの動員記録を更新した。キミらどんだけ奈々ちゃん好きなのよw
動員の面だけでも十分に「ありえないこと」をしてきた水樹奈々であるが、内容でも破壊的な顔を見せることがあった。他ジャンルとのセッションにおける"ぶっ壊し"である。

俺にとっては苦い思い出なのだが、"ぶっ壊し"の象徴は「LIVE GRACE」に他ならない。フルオーケストラの演奏のもと、横浜アリーナの上から舞い降りながら歌う姿は、今なお鮮烈に残っている。「あーあ、やっちまった」という残念な気持ちとともに。
フルオーケストラと共に歌おうとも、馴染んでいこうという方向ではない。水樹奈々水樹奈々であり、どんな状況でも水樹奈々たれというポリシーを感じた。会場が小さかろうが大きかろうが、いつものチェリーボーイズの演奏だろうがフルオーケストラの演奏だろうが、ワンマンライブだろうが紅白歌合戦だろうが、周りをSMAPに取り囲まれていようが(スマスマすごかったな)、水樹奈々水樹奈々であり続ける。ブレない。
そのブレなさに対して、時に俺は異を唱えてきた。GRACEについては未だに違うでしょと思っている。けれども、これこそ水樹奈々のスタイルであり生き様なのだ。水樹奈々にとっては相手に馴染んでいくことこそ日和見であり、スタイルを崩すことであり、許容できないのだ。だからフルオーケストラの壊し方については水樹奈々のスタイルと俺の嗜好が一致することはないのだろう。


さて、そんな中でLIVE THEATER前の俺は、内容の予想と希望を思い浮かべた。水樹奈々はこうしてくるだろう、という予想。アコースティックなら水樹奈々にぜひこうしてほしい、という希望。
予想というか懸念というか予防線というか。GRACEと同じようにアコースティックの枠組みを"ぶっ壊してくる"だろうなとまずは思った。「結局いつもと同じやん!」と賑やかに激しく熱く。水樹奈々は「『結局は跳びたいんだよ!』ってファンは思ってるんだろうな」って思ってるんだろうなと。
希望というか「アコースティック」と聞いてイメージしてしまったワクワク感というか。自分の好きなあの曲やこの曲をアコースティックで歌いあげてくれる。歌いまくってくれと、欲張りに願った。


そして、LIVE THEATERが行われた。結果、予想を大きく裏切ってきた。水樹奈々はやはりアコースティックの枠組みを"ぶっ壊して"きた。ただ、その壊し方が実に知的かつ意欲的だった。
正確に言うなら、壊すというより枠組みを"広げる"作業を丁寧に積み上げていったのがTHEATERだった。当日の記事にも書いた( http://d.hatena.ne.jp/fivetimechamp/20150117/1421514107 )けど、アコースティックというジャンルを自由に解釈して、様々な楽器とセッションしていったのは見事だった。「声も"楽器"だよね」とコーラスをつけたSCARLET KNIGHTあたりで、もうその発想におそれいった。


希望の方はどうだったか。俺が事前に望んでいた曲の本命は残念ながら歌われなかった。ただ、「これを歌うのか!」とか「生きてて良かった!」とか思わせてくれる素敵なセットリストであったのは間違いない。希望に応えるどころか、俺の希望を超えてみせたといったところだろう。
一曲目の「Trinity Cross」のイントロで「これはすごいのきたぞ!」と高揚したし、以降も俺の心の内の内を見透かして「お前は気づいてないけどこういう曲がいいんだよね?」と良いところを突き続けていた。
潜在していた俺のニーズを水樹奈々に汲み取られたような気分だ。「顧客が感じていない潜在ニーズを満たしてこそ、一流の営業」みたいな話を聞いたことがあるが、この点において水樹奈々は一流の仕事をしてくれた。これぞ真の顧客満足



「大好きな君へ」で幸せをたくさんくれたって話は当日にもしたので、もう一つ。「Orchestral Fantasia」の使い方について書いておきたい。
おそらく水樹奈々にそんな気は毛頭ないのだろうけど、俺は「よく"取り返した"な!」という類の感想を抱いた。何に対するリベンジか、それは件のLIVE GRACEである。
LIVE GRACEの(俺にとっての)失敗の象徴が「Orchestral Fantasia」だった。フルオーケストラを従えてもなお通常営業の水樹奈々に対して「これはどうなのよ」と感じていた中で、終盤戦。バンドメンバーがせり上がりで出てきていつもの演奏をし始めた時はがっかりした(CD音源がそういう編成なのはわかっていたが、それでも残念なものは残念だった)。こんなやり方ならセッションやるなよ!と強く思ったものだし、実際そういうこともここで書いた(ら奈々スレに貼られたよね。来客は嫌いじゃないけど面倒だったw)。アコースティックのライブをやると聞いた時の懸念の源泉もここで、「またあの時みたいにめちゃくちゃやるかも」と躊躇した。
それがどうだ、GRACEよりもっとめちゃくちゃだった。アコギとタップダンスってなんなんだよ、すげぇ面白いじゃねーかと。タップダンスのパフォーマンスの後にギターがイントロ弾き始めた時の驚きといったらもうね、ニヤついちゃったよ。
この「Orchestral Fantasia」にアコースティックの楽しみ方が凝縮されていたなと思う。俺はアコースティックの"足りない"部分が醍醐味かなと思う。通常よりも楽器の数が少なく、パワーも小さいなかで、どれだけ深みを持たせて豊かなアウトプットとするか、また聞く方はどれだけイメージを膨らませてインプットするか。オリジナルだとオーケストラにいつものバンドがついて楽器がとにかく多いこの曲、アコースティックギターとタップダンスで表現するなんて圧倒的に足りない。足りない編成で「Orchestral Fantasia」を普段とは全く違う切り口で、それでいてこの曲が持つ情熱は損なわせずにやりきった。とても素晴らしい。
タップダンスを組み込むという発想だけでもすごいのに、「Orchestral Fantasia」でやろうなんてとんでもないよ。水樹奈々としては最も挑戦的になる曲を選んだんだろうけど、俺はこの曲の成功をもってLIVE GRACEとわかりあえそうな気がしてきた。
もしかしたら、「良い『Orchestral Fantasia』を聴きたい」と心のどこかで求めていたのかもしれない。こんなことも察知して汲んでくれたのか奈々ちゃん、なんて人だアナタは。
すごかったなぁ、早く映像でまた見たい聴きたい。足りない編成"でも"すごかったのか、足りない"だからこそ"すごかったのか、もっと深く味わいたい。


予想を裏切り、期待に応える。
そんな瞬間が大好きな俺にとっては、自分でも思っていなかったような潜在的な期待にすら応えきってくれたこのLIVE THEATERはとても満足いくものだった。
Blu-rayを早く出してくれ」「次あるのは何年くらい後だろう」「また見たい」なんて思ったほどの満足感はめちゃ久しぶりだったもんなぁ。


んだろうな、論説っぽいこと書こうってのがスタート地点だったのに、結局は「奈々ちゃん最高!好き!」って話になったねw