そしてオタクは続く

一歩踏み出す勇気

⑥振り返りとまとめ

11月29日から12月1日にかけて、三夜連続でオタクと食事をした。
内山命ちゃんになにか贈るにあたって相談に乗ってくれた人、話を聞いてくれた人、話はしてなかったけど俺の考え方をよくわかってくれてる人と、「いやまじ最高に満足したわ」と同じ話題に花を咲かせた。咲かせてもらった。
話す相手が変わると自分から出てくる言葉とか考えも少しずつ変わっていって、いろいろな見方ができたと思う。

いやほんと、振り返るとめっちゃ満足だ。
早めに動き出したかなってところから、中だるみというか産みの苦しみというかがあって、そっからいろんなこと繋がって巻き返して「これだ!」って策が見つかって、そしていちばん大事な、喜んでもらうことができた。

計画を立てるところでサッカーの戦術的ピリオダイゼーションを引用して、「推しに誕生日プレゼントを贈る」って単純に見えることを「俺にとっては違いそうだぞ」としっかり検討することができた。これが大きかった。
内容に迷うことがあれば、”プレー原則””ゲームモデル”に立ち戻って考え直す。自分はどのように取り組みたいのか。
考えるの大変でもういいやと投げようと思ったときも同じ。自分が何をしたいのか。何を望んでいるのか。そうだよみことちゃんに喜んでもらうんだろうそれがやりたいんだろうと。
枠組みを作って自分らしく動けるように整えていたから、中盤・終盤のひと頑張りがグイッと力を込められたと思う。「オタク活動に戦術的ピリオダイゼーションを組み入れた」ってブログ書きたいよねってモチベも助けになったのも間違いなくある。

出来上がった花、送った物についての満足は前回の記事のとおり。自分で完璧だって思えたこと、みことちゃんにも意図を汲んでもらえたこと、どちらも叶ってよかった。
やっぱりプリザーブドフラワーであることをいいねって言ってくれたのがいちばん嬉しいかな。最初から決めていた基本コンセプトだったから。

計画段階でサッカーの手法を使い、
好きなゲームからプリザーブドフラワーを引っ張ってきて、
声優・アニソンファン時代から(今もそのつもりだけどw)の知人友人の力を借りて、
愛するディズニーランドからもうひと押しを加えてもらった。
そして、自分のルーツとも言える霧島からの物も加えた。
まさに俺の全てを捧げた、そんな誕生日祝いができた。やりきった。


そして、焼き肉やパンケーキや馬肉を食べながら話しながら、振り返っていくと「俺がやりたかったことってこれか」みたいなことも考えつくようになった。
誕生日当日の記事にも書いたけど、推し始めた年以来に年間通してみことちゃんのこと好きって気持ちが前に出ていた。特に夏のあたりでトーンダウンしていないってのが大きくて。
みことちゃんに目を向け続けられた、好きでい続けられた。
俺がってのもそうだけど、それだけみことちゃんが俺を惹きつけてくれていた、活躍していた。
その証を示したかったんだと思う。みことちゃんに対しても、自分自身にも。

今までだってやりたいことしかやらないオタクだったから、去年まで11月14日を起点に気持ちが動き出していたことは別に間違いじゃないとは思う。
ただやっぱり、したかったんだなと。こういう”順当”なこと。単推しって人なら当たり前に向き合えるだろうことに、8年目にしてやっと向き合えた。この機を逃すわけにはいかなかった。
今年こういうことやったからって、あっちこっちふらついていたことは変わらないし、たぶんこれからもあっちこっちふらつく。
それでも今こうしてここにいるぞと、今年はみことちゃんの年だぞと、そこまで伝わるかはわからないけど伝えようとしたかった。
「俺、意外と真面目にオタクできるじゃん!」ってパンケーキを食べながら言ったけど、そんな感じでたまには真面目にオタクやりたかったんだなと。
今年こうしてやりきれたのは自分の財産になる。「2018年にできた」って経験が、次に一歩踏み出す時を簡単にしてくれる。

やればできるんだから、やろう?(ブログを読み返す自分に向けて)


いろんなところからネタを引っ張り出して、たくさんの人の助けを借りて。
どこで何が繋がってくるかなんて分からないし、「何かの縁」と言うのも太すぎるくらい細かな気まぐれのようなものを端にして、これだって決め手に繋がっていった。
「一日、一秒、無駄な時間なんてなかった。まさに自分の人生そのものだった」と言いたくなるくらい、やりきれた。


じゃあ、「次」は今回を越えられないのか?
今回の二番煎じだと思いながらやることになるのか?
それもきっと違う。

今回やりきったことで、自分の中で標準が引き上げられた。同じことをやっても、連載しまくるほど熱くはならないだろう。
この引き上げられた標準を自分がどう越えていくのか?新たなテーマができた。これはこれで、掻き立てるものがある。

そして、早くも「来年はこういうことしてみたい」とネタの種ができている。
「全てを捧げた」ようで、まだまだ自分の引き出しはふんだんにある。あるはず。
「引き出しを開けるため」って、手段が目的にすり替わるのは危ういけど、今できた種はきっと良いお祝いに持ってくことができる。想像しただけでワクワクする。


そもそも、来年も同じように内山命生誕があるのかも分からないけれども。
「今年が最後かもしれないから、やりきろう」ってのがモチベーションの一つだったわけで、その読みどおりに最後になってSKE48じゃなくなるかもしれない。
でも、みことちゃん本人が次の一手を決めてくれたことで、まだまだ新しい景色を見せてくれると信じたい気持ちが出てきている。
SKEじゃなくても、何かし続けてくれると思う。それなら、まだまだ見続けられる。
未来は不確かだけど、だからこそ、みことちゃんとの未来が続くことを願っている。
今後とも、どうぞよろしく。